「怒りの孤島」小学校で観せられた映画。瀬戸内海の島に子どもが鶏小屋に入れらて、空腹で石を食べる
怒りの孤島
ストーリー
「怒りの孤島」は、「子盗り」で売られた少年が、
鶏小屋みたいなところに入れらて
空腹のあまり小石を食べて死んでしまう怖い怖い映画。小学生の時 強制的に観せられた映画。
何十年経っても、トラウマのように、石を食べるシーンが夢に出てくる。
日本で本当にこんなことがあったのかと疑い出し、もう一度観ようとするも
タイトルが分からない。
あの映画のタイトルを知りたくて、みんなに聞いても、
そんな映画は観たことがない、日本では有り得ないと
まず誰も日本であったこと信じてくれない。しかも戦後の話だったから、余計に。
ネットで調べても出てこない。
実在事件だったから、消されている可能性があると、
古本屋の映画本探してもなかった。
第一、文部省があんな映画を小学生に見せる意図も確かにおかしい。
夢だったんだと信じかかっていたら、
いたんです、同じように小学生の時見せられて、やっぱり魘され続け、
あのタイトルなんだったていう問いがあった。
それを手繰っていったら、見つかりました。
案の定、事件は実在していたので、舞台となった島が、糾弾を受けて、
ほとんど削除されていたんです。
「怒りの孤島」山口県情島(広島県にも情島があります)で起きた
児童虐待事件「舵子事件」(映画では愛島と変えられている、すごいブラックジョーク)
昭和20年代初頭に瀬戸内で起きた児童虐待事件「舵子事件」を題材に、
水木洋子が書き下ろしたラジオドラマを水木自らが脚色し、
久松静児が監督した社会派映画。文部省推薦だった。
※製作会社の日映は、大映の専務であった曽我正史が立ち上げた映画会社。
「怒りの孤島」が第1回作品。
なお、曽我と共に大映から独立した市川久夫が企画を担っている。カラー/シネスコ。
キャスト
根本久夫:水谷勝
吉川先生:織田正雄
妻 芳子:岸旗江
娘 絹子:二木てるみ(子役スターです)
権太郎:稲葉義男
ニコヨン重助:左卜全
親方松右衛門:中村栄二
木谷監督官:原保美
三田警部補:浜村純
スタッフ
監督 久松静児 (警察日記、続警察日記)
脚本 水木洋子
原作 水木洋子
製作 曽我正史
音楽 芥川也寸志
撮影 木塚誠一
製作会社 日映
配給 松竹
公開 1958年2月8日
上映時間 108分
瀬戸内海では、昔からあった子飼制度(いわゆる子盗り(コトリ)がさらってきたコドモを、人を雇うことができない
貧しい島々で買って労働力にしていた。
鶏小屋に閉じ込めて、まるで家畜のように
幼い子どもたちを扱っていた。
それを文部省が小学生を集めて見せていたんです。
ぼくらは、もちろんショックでした。※実はショックではなかった人が大半だった)
未だにすべては忘れられない。
でも、いつの頃か、消されれ、ぼくより下の年代には、見せなかった、というか隠した。
製作会社も日映だし、もうとっくにない。
2010年に仁木てるみをゲスト二上映会もあったらしい。
別に今更見たいと思わないけど、そんな事件と言うより、歴史があったということで十分。
追記(昭和34年11月1日東和広報からアレンジ)
情島は山口県大島の東端にある。情島といったのでは、この島の者か、その附近に住む人以外には印象の中にないであろう。しかし映画「怒りの孤島」に出てくる「愛島」といえば、「ああ、あの島か」と思い出す人が多いであろう。「怒りの孤島」には「瀬戸内海におこなわれていた事実だ」と前書があったから
今でも瀬戸内海にはあんなにひどい児童虐待がおこなわれているのかと、当時この映画を見た人たちは強い怒りと悲しみをおぼえたであろうが、
映画はどこまでも映画であり、現実はかなり相違する。
この島は怒りの島というよりも、むしろ忘れられた島、封印された島になっている。
なお映画に出て来る愛島は、宮城県江ノ島を舞台にして撮ったものなので、瀬戸内海の島とはおよそ風景(塩田も宮城県のもので)がちがうばかりでなく、差がある。当時、地元で撮れる訳がない。
さて情島は昭和三十三年離島振興法の適用を受けることになって
それを機会に瀬戸内海の小島がどんな状況にあったかをこの島を通じてご覧ください。
この島はさきにもいったように山口県大島の東端にあって周囲は六キロメートル近く島の最高海抜148メートルで
南半分は、山が海にせまっている断崖絶壁。
島の西北部及び南部にはやや緩傾斜のところがあって、
そこは畑に拓かれているが集落はそこにはなく、
山が海にせまっている東海岸の入江になった四カ所にある。
つまり地形的には耕作にはたいして適地もない東岸に人が住んでいるということは、
この島がその初めから農業が主じゃなく、漁業を主業として成立した島だった。
現在は言語も風俗も愛媛県の文化圏の中に属し、
集落も東岸にあって西岸には見られなくなっている。
あの風習(子飼い子盗り)は、よく親に
「はよ帰らないと子盗りに持ってかられるよ」と普通よく使われるの脅し文句だった訳だから、
情島だけの特殊な者でなかった筈。
瀬戸内海全体なのか、日本全国の問題なのか、今となったら、定かじゃない。
「怒りの孤島」に行き着くまでのキーワードは、
鶏小屋で飼われた少年
子取り・子盗り・コトリ
段々畑島
文部省推薦映画
強制的鑑賞
昭和30年代頃
空腹に小石を食べる
鶏小屋で死ぬ少年
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
カテゴリーは、右側にありますが、もう少し細かいカテゴリーを見たい場合、
1度カテゴリーのどこでもクリックしたら、もっと細かいカテゴリーが見れます。
----------------------------------------------------------
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ストーリー
「怒りの孤島」は、「子盗り」で売られた少年が、
鶏小屋みたいなところに入れらて
空腹のあまり小石を食べて死んでしまう怖い怖い映画。小学生の時 強制的に観せられた映画。
何十年経っても、トラウマのように、石を食べるシーンが夢に出てくる。
日本で本当にこんなことがあったのかと疑い出し、もう一度観ようとするも
タイトルが分からない。
あの映画のタイトルを知りたくて、みんなに聞いても、
そんな映画は観たことがない、日本では有り得ないと
まず誰も日本であったこと信じてくれない。しかも戦後の話だったから、余計に。
ネットで調べても出てこない。
実在事件だったから、消されている可能性があると、
古本屋の映画本探してもなかった。
第一、文部省があんな映画を小学生に見せる意図も確かにおかしい。
夢だったんだと信じかかっていたら、
いたんです、同じように小学生の時見せられて、やっぱり魘され続け、
あのタイトルなんだったていう問いがあった。
それを手繰っていったら、見つかりました。
案の定、事件は実在していたので、舞台となった島が、糾弾を受けて、
ほとんど削除されていたんです。
「怒りの孤島」山口県情島(広島県にも情島があります)で起きた
児童虐待事件「舵子事件」(映画では愛島と変えられている、すごいブラックジョーク)
昭和20年代初頭に瀬戸内で起きた児童虐待事件「舵子事件」を題材に、
水木洋子が書き下ろしたラジオドラマを水木自らが脚色し、
久松静児が監督した社会派映画。文部省推薦だった。
※製作会社の日映は、大映の専務であった曽我正史が立ち上げた映画会社。
「怒りの孤島」が第1回作品。
なお、曽我と共に大映から独立した市川久夫が企画を担っている。カラー/シネスコ。
キャスト
根本久夫:水谷勝
吉川先生:織田正雄
妻 芳子:岸旗江
娘 絹子:二木てるみ(子役スターです)
権太郎:稲葉義男
ニコヨン重助:左卜全
親方松右衛門:中村栄二
木谷監督官:原保美
三田警部補:浜村純
スタッフ
監督 久松静児 (警察日記、続警察日記)
脚本 水木洋子
原作 水木洋子
製作 曽我正史
音楽 芥川也寸志
撮影 木塚誠一
製作会社 日映
配給 松竹
公開 1958年2月8日
上映時間 108分
瀬戸内海では、昔からあった子飼制度(いわゆる子盗り(コトリ)がさらってきたコドモを、人を雇うことができない
貧しい島々で買って労働力にしていた。
鶏小屋に閉じ込めて、まるで家畜のように
幼い子どもたちを扱っていた。
それを文部省が小学生を集めて見せていたんです。
ぼくらは、もちろんショックでした。※実はショックではなかった人が大半だった)
未だにすべては忘れられない。
でも、いつの頃か、消されれ、ぼくより下の年代には、見せなかった、というか隠した。
製作会社も日映だし、もうとっくにない。
2010年に仁木てるみをゲスト二上映会もあったらしい。
別に今更見たいと思わないけど、そんな事件と言うより、歴史があったということで十分。
追記(昭和34年11月1日東和広報からアレンジ)
情島は山口県大島の東端にある。情島といったのでは、この島の者か、その附近に住む人以外には印象の中にないであろう。しかし映画「怒りの孤島」に出てくる「愛島」といえば、「ああ、あの島か」と思い出す人が多いであろう。「怒りの孤島」には「瀬戸内海におこなわれていた事実だ」と前書があったから
今でも瀬戸内海にはあんなにひどい児童虐待がおこなわれているのかと、当時この映画を見た人たちは強い怒りと悲しみをおぼえたであろうが、
映画はどこまでも映画であり、現実はかなり相違する。
この島は怒りの島というよりも、むしろ忘れられた島、封印された島になっている。
なお映画に出て来る愛島は、宮城県江ノ島を舞台にして撮ったものなので、瀬戸内海の島とはおよそ風景(塩田も宮城県のもので)がちがうばかりでなく、差がある。当時、地元で撮れる訳がない。
さて情島は昭和三十三年離島振興法の適用を受けることになって
それを機会に瀬戸内海の小島がどんな状況にあったかをこの島を通じてご覧ください。
この島はさきにもいったように山口県大島の東端にあって周囲は六キロメートル近く島の最高海抜148メートルで
南半分は、山が海にせまっている断崖絶壁。
島の西北部及び南部にはやや緩傾斜のところがあって、
そこは畑に拓かれているが集落はそこにはなく、
山が海にせまっている東海岸の入江になった四カ所にある。
つまり地形的には耕作にはたいして適地もない東岸に人が住んでいるということは、
この島がその初めから農業が主じゃなく、漁業を主業として成立した島だった。
現在は言語も風俗も愛媛県の文化圏の中に属し、
集落も東岸にあって西岸には見られなくなっている。
あの風習(子飼い子盗り)は、よく親に
「はよ帰らないと子盗りに持ってかられるよ」と普通よく使われるの脅し文句だった訳だから、
情島だけの特殊な者でなかった筈。
瀬戸内海全体なのか、日本全国の問題なのか、今となったら、定かじゃない。
「怒りの孤島」に行き着くまでのキーワードは、
鶏小屋で飼われた少年
子取り・子盗り・コトリ
段々畑島
文部省推薦映画
強制的鑑賞
昭和30年代頃
空腹に小石を食べる
鶏小屋で死ぬ少年
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
カテゴリーは、右側にありますが、もう少し細かいカテゴリーを見たい場合、
1度カテゴリーのどこでもクリックしたら、もっと細かいカテゴリーが見れます。
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この記事へのコメント
痕跡を残したくない誰かが,操作していると思います。
残念ながら、
再上映は、無理かと思います。
フィルムを持って居られる人の心当たりがある人、
ご連絡ください。
あと仲代達也の切腹と、人間の条件です。再度見たくは無いけど心に引っかかっている映画です。
日本は、もうきっと北朝鮮の報道管制力は抜いているように
思います。
おおさかピースポートが2014年9月に改装のため休館しています。
被害の展示を大きくして,加害の展示を思いっきり小さくなる
そんな世の中に今なっています。
加登田恵子氏の「舵子事件をめぐって」をロムて読んで貰えませんか。
伊藤彰さんの「情島覚書」も読んで下さい。
ただ、情島覚書は図書館でしか読めません。手間がかかります。
島民としてはもっと言いたい事があります。
人の意見を利く度量が有れば話をしたいですが。
情島に興味を持たれた方だから。
○言さん
終戦時のタブーが解禁されたように私には見えますが。
聞く耳はもっているつもりです。
加登田恵子氏の「舵子事件をめぐって」は
この日記を書くときに読みました。
伊藤彰さんの分は読んでいません。
貴方様のブログに入って拝読しました。
元教師のおじいさんの話も読ませていただきましたが、
情島事件の内容を否定も,肯定まされていません。
地元の方なら、もっとご存知なんでしょうが、
何故,文部省推薦でぼくらに見せたのかを
ご存知なら,教えていただけませんか。
未だに疑問なんです。
大変失礼しました。
大上段にコメンとを投げ捨ててすみませんでした。
無教養を承知の上でお付き合いください。
先ず私は昭和30年代生まれなので、なぜ文部省推薦かは、解りかねます。
情島が曰くつきの島だと知ったのは十五で広島に出てからです。
質問の件は2チャンネルの過去ログに
「怒りの孤島」って言う映画知ってますか? と
言う中では日教組の影響とか。
何かの本では占領政策とありました。
加登田先生の論文を読まれたなら強い言葉で言います。
過食症の少年を病院もない島に押し付けられたと私は言いたいです。
医者に見せるのに、ろ漕ぎ船なら瀬戸をうまく渡っても2時間です。
逆潮なら六時間潮待ちです。
それでも医者に見せて医者から食べさせるなと言われています。
死亡原因が違います。
死んだのも鶏小屋では有りません。
質問の答えになっていますか。
フェリーの海難救助まで、出身地を隠していたのは事実です。
海難救助後に風向きが変わりました。
又、ネットの時代で逆風が吹きそうです。
原作になった事実はありました。
脚色されているので、それは事実じゃないといわれれば
事実じゃないです。映画です。
NHKのやらせのように、ドキュメンタリーと謳っていません。
「実在しない」というのは、どこからの情報なんでしょうか?
先日(2017年4月)山口県の「情島」が放映されました。
「ああ~この島か~」とテレビを見ました。現在は過疎が進み80人ほどしか住んでいないそうです。思うに・・島と県の反対があったから上映しないのでしょう。
いい意味で心に残る映画だったのです。
あげてくれた方に感謝です。
なぜ見たのか? 推奨映画で見せられたのですね。
フラッシュバックの様に映像が蘇ります。
映画好きになったのも 正義感の強い人間になったのも、少なからずこの映画があったかも知れません。